読み込み中...
読み込み中...
仕事をする際に、「やりがいがあれば低い給与でも構わない」「やりがいを感じられる職場が理想」といった言説を耳にすることが増えました。しかし、この「やりがい」という言葉に、多くの労働者が違和感を覚えるようになってきました。それはなぜでしょうか?
本音で考えると、やりがいは確かに重要です。しかし、やりがいだけで人生は成り立ちません。家賃を払い、食事をし、医療を受けるには、適切な報酬が必須です。にもかかわらず、「やりがい」という言葉が、その報酬軽視の言い訳に使われてきた側面があるのです。
2010年代後半から注目されるようになった「やりがい搾取」という概念があります。これは、低賃金・長時間労働を「やりがい」という名目で正当化する企業慣行を指します。
具体的には、以下のような場面が該当します:
これらの場合、企業側は「やりがい」を前面に出すことで、市場相場より低い給与や過度な労働時間を正当化してきました。労働者は「やりがいのためなら仕方ない」と自分を納得させ、気づかぬうちに搾取されてしまうのです。
ここで重要な指摘があります。やりがいと報酬は、どちらか一方ではなく両立すべきものです。
2026年現在、ウェルビーイング経営やジョブ型雇用制度の浸透により、この認識は徐々に変わりつつあります。優良企業は、従業員に対して:
このバランスが取れた職場こそが、本当の意味で従業員を大切にしている企業だと言えます。
では、本当のやりがいとは何でしょうか?
それは、自分の努力が正当に評価され、その成果が生活の安定につながる時に初めて生まれるものです。やりがいは、基本的な生活保障があった上で、初めて意味を持つのです。
逆説的ですが、「やりがいだけで十分」という考え方は、自分自身の価値を過小評価することにつながります。プロフェッショナルであれば、自分の労働力に対する正当な対価を要求することは当然の権利です。
この状況を改善するために、労働者側ができることがあります:
「やりがいという言葉への違和感」は、決して仕事への情熱を失うことではなく、自分たちの労働がどう扱われているかを冷静に見つめ直すきっかけです。
2026年の働き方は、多様化しています。リモートワーク、副業、フリーランスなど、選択肢が増えた今こそ、やりがいと報酬の両立を実現できる職場を求める時代です。
本音で言えば、やりがいは素晴らしいものです。しかし、それに甘えて自分たちの権利を手放してはいけません。適切な給与、良好な労働条件、そしてやりがい。この三つが揃った仕事を求めることは、決してわがままではなく、プロフェッショナルとしての当然の主張なのです。




